2013年1月7日月曜日

文禄・慶長の役の名称を「朝鮮侵略」と呼ぶことの不適切さ

近頃、文禄・慶長の役の名称を「朝鮮侵略」と呼ぶものが少なからず存在するが、これは極めて不適切で有害なものである。

侵略という文言を使うとき、それは決して中立公正な立場から歴史を探求するものではなく、対象となる歴史的出来事を誹謗中傷する立場から使用されるものだからである。これは歴史の真相を大きく捻じ曲げる要因となり、歴史の真相を探求しようとする場合の大きな障害となる。
 
人類の長い歴史の中で無数の戦争が繰り返されているが、それが侵略であるか否かにかかわらず、一々戦争名に「○○侵略」などと付けているだろうか?試しに世界史の教科書を見てみれば判るが、まず戦争名に「○○侵略」などとは付けられていないはずだ。戦争の名称に「○○侵略」などと付けるということは、中立公正さ損なうものであり、歴史の評価を行う上で大きな障害となるからである。このことから文禄・慶長の役を「朝鮮侵略」と呼ぶことが如何に奇異で有害であるか理解することができるだろう。
 
残念なことに文禄・慶長の役の研究やメディアでの扱いは、その多くが中立公正な立場から離れ、誹謗中傷する立場から論じられている。内容は、卑劣な戦争を行った日本軍が敗北してゆく物語を無理矢理でっち上げた挙句、この戦争によってひたすら悪影響がもたらされたと説くものである。これは実のところ暗に第二次世界大戦のイメージに重ね合わせたものだ。視聴者・読者に、文禄・慶長の役について反省心を抱かせるだけではなく、第二次世界大戦等、日本が行ってきた対外戦争全般を反省させ、不戦思想を植え付けたいのであろう。しかし、このことが文禄・慶長の役を実像から乖離したものにしてしまっている。実際のところ、戦争が始めから終わりまで、日本軍は主要な戦いの殆どで朝鮮軍や明軍を破り勝利しているのであり、特に慶長の役は極めて順調な推移をたどっていたのである。ところが、書籍やテレビ等、少なからぬメディアでの取り上げ方は、日本軍の勝利を徹底的に隠すという手法で進攻した日本軍が敗北した物語を無理矢理でっち上げている。今、こうした行為が当たり前のように行われているのである。
 
ここまで文禄・慶長の役を誹謗中傷すべき出来事として取り扱うことが、実像から乖離した歴史が捏造されることの原因となっていることを述べてきたが、文禄・慶長の役の名称を「朝鮮侵略」と呼ぶことは、その象徴的行為といえる。